2022年4月27日水曜日

20220427 7つのコスモス(7)を掲載した

 7つのコスモス(7)を掲載した。

https://note.com/lockwood/n/n88b130d2dd79

ミクロコスモスについて書いているが、書いている時、とても息苦しい思いをしていた。しかしながら、下の<絶体>を意識すると、プロトコスモス、アヨコスモス、マクロコスモスまでの道筋をトレースするような模型となり、それは天井に穴の開いた「青天井」となり、息苦しさは消える。縄文時代について、もっと考えたほうがいいと思ったが、それについては今回はあまり詳しくは書いていない。でも興味はある。というのも、BC13000年以後の縄文時代は、ちょうどアトランティス大陸が沈没した後の「洪水の時代」にも対応しており、縦横無尽に、大きな宇宙に行き来していたのだと思われる。現代人は、これを理解することはほとんどできない。誰でも、自分と同じものしか見ることができないからだ。


2022年4月18日月曜日

20220418 7つのコスモス(6)を掲載した

 7つのコスモス(6)は、トリトコスモスについて書いた。

https://note.com/lockwood/n/n24f8e751cdb1

noteが、これまでのテキストとは違って、見出しなども出るようになったが、そのかわりに、改行の幅なども大きくなり、わたしのパソコン画面からすると、不自然に、隙間の大きい表示になっている。このほうがスマホなどでは見やすいのかどうか、わからない。少なくとも、openofficeのいつもの表示からすると、すかすかだ。

ただ、このブログにしても、改行すると、かなり幅が大きく空くので、もしかしたら、noteはいまの状況に合わせているのかもしれない。

トリトコスモスは、人間世界のことであり、すると、四元素の火、風、水、土の範囲に収まるもののはずだが、(H48は、地球であり、メゾコスモス)、これはただの物質人間のことでしかなく、思考とか感情は入らない。思考とか感情の振動密度は人によって大きく違いがあり、ひとくくりにできないので、つまり決まった人間モデルの範囲というのは、決められない。結局、本来の人間とは、マクロコスモス、デュートロコスモス、メゾコスモスが重なった、というか釣り下がった形になる。これは12吊られた男と同じスタイルだ。地面に立った人間の姿は正しくない。ここに反対に降りてきた人間を重ねなくてはならない。

そして、身長は、何十メートルにもなると思う。新しい視覚は、それを視覚的に見ることができるが、肉の目では、それを見ることができず、四元素の枠にある人間の肉体だけを視認する。Lアースでは、この正しい見方を取り戻すことができる。

今日、4月19日に、7つのコスモス(6)は、openofficeの文章を一度テキストにして出力し、メモ帳で読み込ませて、あらためて、noteの編集モードで、貼り付けた。これで改行が過剰に空白が広くなることはなくなったので、これまでと同じように読めるようになった。



2022年4月11日月曜日

20220411 7つのコスモス(5)を掲載した

 7つのコスモス(5)を掲載した。

https://note.com/lockwood/n/n29efbc6d1caa

メゾコスモスを考える時、三つの層があるとすると、全惑星領域。次にジオセントリックのように、地球から見たほかの惑星の配置。一番下に、地球そのものというのがあり、この三つの層を知るには、なかなかに困難があるのではないかと思う。

というのも、外面的に惑星を見るということでは、実体を知ることができず、人間の自我を解放して、惑星自我、生命などに、入ってみる必要があるのだが、すると、全惑星意識の場合には、すべての惑星に均等に入らなくてはならない。どう考えても、せいぜい、地球生命に入ることしかできないのではないか。ミラレパは、地球に同化した、地球生命そのものになったと思う。

地球の血流である惑星グリッドをくまなく歩くと、地球生命を感じ取ることができるが、血流は身体のあちこちの情報を拾って、心臓に戻し、ここでたくさんの流れを統合化して、人間の自我が形成されるように、地球のグリッドも全部統合化する必要がある。でないと、地球そのものを知ることができないのだ。ただ足を使って歩きつくそうとすると、全部網羅というわけにもいかず、やはりサマディ、ヘミシンク、夢などで探索するしかないのでは。足を使って歩くとき、知覚としては、肉体の自我に依存することになり、これは地球意識とはかけ離れたものなので、そもそも足を使って全部歩きつくすということが、あまり合理的でない、筋違いのやりかただ。


2022年4月4日月曜日

20220404 7つのコスモス(4)を掲載した

 7つのコスモス(4)を掲載した。

https://note.com/lockwood/n/n68a32173d9e5

デュートロコスモスすなわち太陽系を3つに層に分けたとき、真ん中は、7つのコスモス全体においての、最大の支点であり、もっとも大きな亀裂だ。で、上座においては、ひとつの恒星をおひつじ座0度、すなわちこのデュートロコスモスにおいての目的、自我の起点とみなし、この目的そのものが自我そのものであるともみなす。

下座では、下のメゾコスモスに降りる用意をしており、すると、上座の基準とは別個のものとなり、この上座、下座の位置を整合することはできない。つまり、メゾコスモスの惑星界に接触しようという目的そのものが、デュートロコスモスの中に存在しようとする目的とはまるっきり違うものなのだ。上座と下座で、12サイン位置を合わせようとする必要性は皆無。

五次元は、三次元空間プラス1次元時間というミンコフスキー時空での四次元から、意識と時間が同一化していることを分離して、意識を第五の座標にしていく。すると、四番目の座標である時間に対して、対象化ができて、時間を自由に扱えるのだが、でも、あくまで太陽系とは巨大な四次元時空であり、この中に多数の時間軸が含まれており、それでも、これは四次元の範囲の中にあるものなのだ。空間的にたくさん次元ができても(余剰次元)、それは四次元の範疇での細分化にすぎない。というのも、空間は時間に付随しているもので、いろんな振動密度の存在たちは、彼ら自身が住んでいる世界は三次元だと思っている。

空間は時間に付随するという点で、異なる時間軸に「自我移動」させると、そこにこれまでとまったく違う世界が広がっていることに気がつく。1次元時間に一体化している人は、これを理解することは不可能だ。まずは時間と自分は違うのだということを考えなくてはならない。

占星術で、ほかの惑星のことを考えても、その惑星の時空セットに入っているわけではないので、各々惑星には、そこに固有の空間世界があることを知ることはできない。地球の地面に張り付けられている間は、ほかのどんな世界も知ることはできない。