2018年6月7日木曜日

20180607 ヘリオセントリック

大腿骨を痛めてから、ほとんど歩いていないのだが、気分的にこれは違和感がない。でも、身体的には腰から足にかけて、血流が必要で、血流とはこの中に自我が住んでいて、つまりは地上の情報を持ち込んで、それを活動に加えていく必要があるということだ。
で、今日の夢は長方形の板を作っている男が出てきて、彼が作り出すものは、すべてに統一的で、これは金のトーンでまとめているという感じがあった。なんとなくタンノイの創始者も思い起こさせた。
金は金属の中では頂点にあり、次のオクターヴとのつなぎ目にもあたる。

ヘリオセントリックの場合、地球は、惑星の中で、大地というか、一番身体に関係する部位で、それ以外の惑星は、チャクラでいえば、もっと上のほうにあるものに該当する。つまり感情とか精神活動などに関わり、はっきりと物質的な身体ということをピンポイントで考えた時には、地球を示す場所がそれにあたる。
わたしの場合、この地球ポイントにはデネボラが重なっていて、これが塔の上から地上をウォッチングするという姿勢を作り出している。つまりそもそも閉じこもって、出かけないというのはわたしの身体的位置づけからすると、最初からフィットしている。地球的な身体生活においては、デネボラ的に振舞うということだ。

スピカとアルクトゥルスはわたしにとても縁が深いのだが、とくに人間の形態という点では、スピカをリファレンスにすると良いと思っているのだが、これにデネボラを加えると、春の大三角になる。つまりはスピカ、アルクトゥルス、デネボラのセットは、集団無意識の中では、比較的馴染まれているアーキタイプだということだ。今日の金の長方形を作っている男の夢だが、春の大三角にコル・カロリを入れたひし形、あるいは長方形というものを関連づけるといい。金色はスピカから射出されている、と。これは春のダイヤモンドと言われている。夢の中の男は、長方形の角を削って、尖らないようにしていた。

で、2女教皇の書物は、20審判では、墓として描かれていると説明している。11力は、2女教皇の段階で、いったん同一化したケモノあるいは文字を、身体から引き剥がしている。20審判では、この腰に埋め込まれた女教皇の書物を、あらためて文字に息を吹きかけて、生きたものにしていく。それはいままで自己同一化していた地球的アーキタイプから離れて、違う辞書の文字を引き出すことだ。もちろん女教皇の書物と違い、宇宙的なサイズの辞書と考えてもいい。女教皇は鉄のカーテンに守られているが、20審判はそれがそのままプラネタリウムになっていると考えてもいい。

20審判のカードは、16から19までのプロセスが、どんな星系に対してもできるということを示している。これはたとえば17星のカードで並んだ8つの恒星のどれかひとつを、違う恒星に入れ替えるということも。すると、異なる箱が作られていく。で、息を吹きかけて、この違う恒星要素をアクティベートする作業が20審判のカードだ。
アクティベートした場合、20審判なので、精神的に変化するということよりも、物質的に違いがはっきりとあらわれてくるということにもなる。つまり現象として生活の中にそれが持ち込まれる。
歩けない状態から、これから歩ける状態に調整しなくてはならないが、まだ時間はあるので、地上での足場として、デネボラとアルクトゥルスとスピカと、コル・カロリと、ほかに何を入れた結晶にするか考える暇はある。
夢の中では、この長方形はすべてに浸透し、彼は自分が作り出したものすべてをそのトーンにした。もちろん、四角形というのは4の数字で、これは4皇帝のように見えるものすべてをそれに統一しなくてはならない。



こないだのzoomで、精神宇宙探索をする時に、6方向の壁、8つの点という立方体を考えると、閉じ込められたように感じてやりにくいという話があった。
で、わたしが立方体をいつも持ち出すのは、これは6方向の圧力が均衡することで、存在は「自分がいる」と認識することができるということ。わたしたちは静止している。実は静止してないけど、静止していると感じるのは対立方向の圧力がぶつかり、そこに静止する場ができるから。流れているものに意識も自覚も存在しない。
つまり立方体の6つの壁、あるいは圧力がないと、わたしたち自身が存在しない。自分が感じて、思い、考え、意識するということじたいが、6方向圧力の均衡によってはじめて可能だということ。
どれかひとつの壁がなくなると、そこで、一気に存在は解体して、流れの中に流産して、自分はもうどこにもいない。ひとつのエネルギィの流れになり、静止点を取り戻すことはもう不可能かもしれない。というのもエネルギィの流れというのはあまりにも強すぎて、そこであらためて静止しようとしても足を救われてしまう。というよりも静止点を作り出そうという意思を生み出すことが難しい。存在というのは流れに抵抗することだ。
シュタイナーはこういう現実についてわりに上手に説明していると思う。
で、わたしはこういう基本について説明するのは面倒くさいです。これはFAQみたいにしなくてはならないね。
対立する流れを衝突させて、自分がここにいると条件を作り出すのならば、反対に、自分の意識を働かせることで、対立する流れを呼びこむというのが、前に書いた、自分は暗闇の中にいて、ノートがあり、このノートに何か書いている。そこだけが明るく、それ以外は暗闇。そして誰かが「それでは危なすぎないか?」と話していた内容に関係する。書かなければ自分は消えるから。

惑星に住んでいる人は、惑星に流れを依存している。その場合、その人は付属品であり、その人が存在すると言えない。流れは意識に上がらない、それは存在しないと思われている。マグロが自分は泳いでいないと思うように。羊の群がある日、100頭、崖から落ちても、羊はそのことを自覚しない。今日夢の中で丁寧に金色の長方形を作っていた男は、それを心をこめて作った後は、壁に入れ替えるのだろう。

板を一枚作るには、4つの点が必要だ。夢の中の男が作っていたのは床ではなく、正面の板だろう。



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