2022年10月30日日曜日

20221030 冥想と夢見(22)を掲載した

 冥想と夢見(22)を掲載した

https://note.com/lockwood/n/n3d7a09c01710

フラワー・オブ・ライフにおいて、生命の樹の上限と下限の壁を取り払うと、上の無と下の無はつながるが、これはフラワー・オブ・ライフになることであり、この中で、動き回る動物体としての生命であることの枠をはずれる。上の無に対して、恒星はプロテクタになっているが、下の無に対しては、物質の結晶がプロテクタになっている。下の円は、マルクトの円があり、さらにその下に暗黒物質の円があるが、この両股にかかわるヴェシカパイシスの横ラインに、非晶質の金属と鉱物がある。下の無に向かうには、結晶を非晶質にする必要があり、この一例として、黒曜石、アモルファス金属があるが、もちろん、物理学的に、実際の黒曜石、アモルファス金属を調べて参照することに、さほど大きな意味がない。というのも、結晶というのは、ロゴスが物質に反映されたものであり、なので、鉱物結晶にしても、形而上学的、哲学的に考えなくてはならないのだ。物理学的に検証するというのは、「上のコスモスを研究すると同時に下のコスモスを研究して、照合する」という姿勢からはずれて、下だけを見ているということなのだ。プラトンは、地上において、イデアの穢れを嫌ったが、それは、恒星意識が地上に降りてくることを阻む姿勢だ。もっともっと深く入り込むと、イデアのゆがみというものはなくなるのではないか。でも、イデアの穢れは、逆に、人を守っているとも言える。上から下まで、まっすぐの道ができてしまうと、人は暗闇に吸い込まれるのではないか。目詰まりは安全装置、クンダリニの眠りは存在の守りという考え方もできる。

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