2018年11月19日月曜日

20181119 揺れとバイロケ

そういえば、舞踏というのは、エーテル体知覚に移りやすい。エーテル体知覚とは、身体の中にある主体が身体の外に拡大することであり、舞踏の場合、いまここにいたと思ったら、数センチずれた場所に自分がいるという揺すぶりで、主体残像が複数化する。めまいを起こしてしまうというのも、主体がしっかり同じ場所にいないことを示す。なので、わたしはよく変性意識に入るのに、単調な、特に「無意味な」動作を繰り返すことをお勧めしていた。無意味な動作の理由は、本能センターの自然な動きから逃れるためだ。その人の自然体の無意味さでなく、その人らしくない、まさに不自然な無意味動作はもっともお勧めだ。で、エーテル体知覚にシフトすると、そこで誰かとラポールの紐をつなぐと、ほとんど防衛できないくらい影響が入ってくる。ラポールというのは、そもそもメスメルが主張したエーテル体の紐のことである。防衛とは主体の位置がはっきり決まって、物質体の知覚にいる時に可能なものだ。物質体は城壁に囲まれているという意味だ。主体が揺らいでいる時には無防備になる。わざと倒れ掛かったり、よたったりするのは、無防備さをアピールしていることだ。ダンスをふたりで組んでやっていると、いつもよりラポールの紐が深く繋がりやすい。ダンスする会場で、壁の花をしているのは、動かないことで、エーテル体から物質体に向かい、しっかり防衛に徹していることなので、この会場にいる誰ともバイロケしないぞという決意だ。人と人のラポールは、人以上の世界には繋がらないので、あまり面白いものは期待できないと思うなら、モスクとバイロケしてみよう。まっすぐに繋がっている星がある。バイロケは主体の移動なので、より効果的に進めるために、いままで説明してきたように、身体を不自然に妙に揺らしながら行うのもいいかもしれない。警察に呼び止められるので、道を歩きながら揺らさないように。記憶術を実践するために身体を揺らしている人がいたが効果的。無意識に刻印される。学校の勉強でゆれる子供がいたら、こいつは多動児かと先生が叱るかもしれないが、揺れるほうが正しい。

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