2020年10月22日木曜日

20201022 前世というのはあるのかないのか

アカシックリーディングでは、前世はあるという想定でリーディングする。下降型意識の人間からすると、これは蛸が複数の足を、異なる時間、異なる空間に錨のように降ろすような光景で、それぞれの生には密接な関連があり。これは大きな自己が分岐してさまざまな時空のポイントに降りるのだから、もとはひとつ、という関連だ。

で、一霊四魂みたいに、正確には一魂四魄のように、魂としての第五元素のアカーシャの「象徴性」は、四つの元素に分割されて、具体的な人生になるということを考えよう。シュタイナーが人間はかならず四つの気質のどれかで生まれ、すると足りない気質を生まれなおさなくてはならないと言ってるような例で考えるなら、ひとつの象徴的魂は四つの生を作り出す。

で、大きな自己は、異なる時空に複数の小さな自己を降ろすという場合、もともとの目的は、低い次元の世界において、情報を「まんべんなく、偏らないように」経験し獲得することなので、この時間、空間の中に降りるには規則性があり、幾何図形的な規則性があると考えるべきだ。

スタピに前世はなく、アカシックデータから、人生記憶を借りるということと、いや前世はあるという説も、同じことで、アカシックデータがアカーシャにあり、それは時空がまだないところなので、(地上から見ると実在していないに等しく)ここから四元素として時空のある、つまり「具象的な」人生は、未来から過去に埋め込んでもいいし、それまであったものが忽然と消えたというようなものも含んでもいい。

つまり今から過去の記憶を作るんだという姿勢もあってもいい。そもそも誰でも、記憶というのは思い出すつど、どこか改変されていることを思い出してほしい。復元するたびに刃こぼれしたり、追加されたり、繰り返して思い出すうちに、一部の共通点を転換の支点にして、全体がリニューアルされたりすることもある。

ひとつの魂が、四つの人生を地上にプロジェクションマッピングするという光景は、もちろん魂よりももっと上位の霊が複数の魂を作り出すということで、前世とか未来世はたくさん出てくることになるし、ひとつの存在が、地上から去る時には、同時に、過去にあった前世とか、未来世も、同時に地球からまるごと去る。時空の中に分割して錨を降ろしていたのだから、引っこ抜くときは全部引っこ抜くのはあたりまえだ。

ちなみに、脳は個体の中にあり、個体の中にあるということは、具象的、事物的な働きしかしないので、四元素化されていない象徴性を、脳は理解することはできない。象徴性は身体の外にあり、自己想起によって、複数のわたしを想定することは、たいていの場合、身体の外にある自分というものを意識せざるを得ないので、自己想起は、見るわたしとみられるものとの固定的、単一的な束縛から解放されて、複数客体性という点で、象徴性というものを直接理解できる「知性」を獲得するきっかけになる。象徴性は、複数の事物を含むものなのだからだ。いまのところ最低四つの事物性を内包する。

で、サビアンシンボルは、純粋な象徴性を抽出できれば、それはアカーシャの第五元素のデータになると説明したが、同時に、これは四つの元素に90度の関係で、分岐できる。ただしいまのサビアンシンボルのままでは、特定の事物性の記述と結びついているので、この四つの分岐ができない。

で、私の場合、土星がてんびん座の27度の飛行機のシンボルを持つが、となりにてんびん座24度の蝶の度数の海王星があるので、この飛行機は動力を持たずに、風で飛んでいくような性質になってしまう。時におうじて、この飛行機を山の上、宇宙船、雲みたいなものに変えてもいい。雲は風で飛んでいくし。

前世イメージでは、たいていの場合、似たものが多く、イメージはどんどん変わるが、象徴性としてはほぼ同じ。もとは同じ魂なのだから。で、先ほど説明したように、もとに象徴的アカーシャの記憶があり、これを四元素分解したものを、人間はいちいちひとつずつ体験しているとみなせば、このてんびん座27度の飛行機が、各々四元素になるとどういうシンボル表現に変わるのかを考えると、すくなくとも、これは残り三つの前世ですよ、と言えるものになるということだ。

上昇型の人は、常に具体的な、「これは実体験です」というリアリティを求めるかもしれないが、下降型の人からすると、あらゆるものは一なるものを分割して作り出した被造物であり、もとに戻せば消える、つまり「あらゆるものは幻像である」という姿勢が徹底している。上昇型の「これは現実であり、それはゆるがない」ということこそ、エニアグラムでのインターバル地点で上昇できなくなる障壁を作り出していると考えるといい。すべては印象であり、印象は違う見方ができるんだよ、ということを信じないのが上昇型の限界だ。

で、わたしの土星の位置と90度にあるものを見てみると、山羊座では山の巡礼で、土の元素になると、山を下から上がる光景もあるわけ?と思いました。かに座では渓谷の嵐。これは当たり前でしょう。山の上に行くほど、風当たりは強い。下界にあるべき家とか建物は壊れていくのもオーケー。山の上に作るのが間違っている。これはわたしがモノ離れが激しいというのとも関係する。買ったものはすぐに吹き飛んでいく。(いまのところはヤフオクへ)わたしは家具をやたらに配置換えするので、部屋の光景がよく変わりますが、(大腿骨を壊している時には、珍しく動かなかった。二キロ以上のものを移動させられなかったので。)これはいつも嵐が吹いているようなものです。

牡羊座の想像で復活させるというのは、下降型の意識の典型ですが、山の上にいると、地上の物質性というものから離れているので、想像で作ったものをリアルとみなし、地上的な物質性というものにあまり重きを置かない。夢の体験は客観的であり、地上においては、その断片しか手に入らない。あるいは脳は事物的なことしか理解しないと言ってるのも、このサビアンに関係していると見てもいいです。

わたしがどこかヒプノのセッションとかQHHTで体験しても、これらのサビアンとか、それと正確な幾何図形の配置にある点に置かれたシンボルなどを再体験するだけです。あるいはそれらをもっと深堀りしたものです。

(かならずしも、地球の春分点に釘止めされていない、本来の)12サインは、アカシックデータを蓄積するための、原初のピザ生地みたいなもので、そこに細かくデータが刻印されますが、ひとつの点の意味は、単独では成立できない。ひとつの点の意味は、それと幾何図形を作るような関係性を持つほかの複数の点との支え合いで発生する。意味というのは、常に点的なものでなく線的なところで生まれるからだ。これはメルキゼデクが、惑星グリッドがないと、虫一匹存在できないと言ったのと同じこと。これが、いまいる自分には、たくさんの前世がありますよ、ということと同じことを示している。

というわけで、出生図一枚で、サビアンシンボルの象徴性を引き出し、あらためて、四元素あるいは、幾何図形的配置(つまりアスペクトなどを多用して)で、前世アカシックリーディングもできますよ、という話です。これは世の中にある、なんちゃってアカシックを打倒する目的で言ってるわけではないよ。前世というのは、実は今の自分を支える図形配置なんだということを強調しています。みんな南総里見八犬伝。今のところから、過去を逆算できる。

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先生が以前湘南カルチャーで、1年かけてサビアンを全部読む講座をされていたと伺ったことがあります。(なに、それ、夢のよう!と思いました)

朝日でもいいですが、カルチャーで、もう一度やってみませんか?私は参加したいです(カルチャー価格なら参加できそう)

先生は占星術のブームの火付け役。サビアンはすごいブーム(というか、もう定番化した感)ですし、今はヘリオの鑑定も流行ってますよ。(ついでにイージーなヘリオ解釈も流行ってるみたいです)

最近は独自のサビアン解釈を書いている人が続出していて、ググるとすごいです!正直、お粗末すぎるものが多く、読むに堪えません。

以前のサビアン本の内容をさらにアップデートしてくださらないかな・・・と前から思っていたのですが、カルチャーで喋ったものをそのまま書き起こしてもらって、それを少し整えて出版、音源も教材として販売すれば、一粒で3度おいしい感じじゃないでしょうか?

サビアンは絶対外れなしですよ。zoom定員枠がどの程度か知りませんが、200名くらい余裕でしょう。

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象徴と事物性を切り離し、もう一度四つのフェイズに結合するというようなサビアンならばやってもいいけど面倒くさそう。お年寄りなんで、面倒くさいのはなかなか乗り気がしないんだよね。体動かすのも大変なんだよ。ヘリオだって、かなりの人がまったく勘違いしているはずだし。








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