2020年10月27日火曜日

20201027 発見、包まれる、なりきる

 メール質問です

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こんにちは。恒星の三段階について質問があります。

発見する、包まれる、なりきるというのが三段階と先生の本で読みました。この発見についてですが、昨日のアルファードの夢の方は、発見の段階にあるのでしょうか?

本当にアルファードの夢なのか確認するために、松村先生にメールされていますが、それは発見したことになるのですか?

発見する=H24、包まれる=H12、なりきる=H6と考えていたので、今回に限らず何度も松村先生に確認されているように読めますが、これはH24ではないですよね。

〇〇の恒星に着いていますか?よくわらかないので。 →先生の答え

→△△の恒星に着いていますか?自信がないので。

→先生の答え

→‥‥‥

→‥‥‥

と、繰り返し、まるで脱出できない、永遠のループ中にいるように思え、読んでいてだんだん気が遠くなります(もしかして、それが先生の狙いですか?これが地球だということをわかってもらうため?笑)。

恒星探索すると、H24とか、H12とか、H6が発達し、もっと自立的な人になるイメージがあったのですが、やればいいというものではないのですね。やはり自己想起や三分節を整えることが、マストなんですかね。

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発見するというプロセスをもう少しわければいい。

地球から見て、恒星を見つけ出した。この場合、地球に足をつけているので、恒星と地球という葛藤が生じて、発見したつもりだが、自信がない。地球的価値観がまだ支配力を持っているので。時々地球的視点が優勢になり、するとすべて嘘だったと思う。

発見の第二段階は、恒星意識のほうが地球の大地よりも優勢になり、すると発見したことは確実であり、確信する。

地球視点と、恒星はまったく違うので、両立することは不可能で、どちらかを選ぶしかないというような状態になりやすい。なので安定した発見したという段階では、すでに地球的視点を信用していないということになる。

包まれる段階では、すでに大地の足場は撤去され、恒星に取り込まれる。この場合には、大地に立って発見した時の「主体の位置」はなくなっているので、大地から見ての恒星の定義というものがわからなくなり、それについてはっきりと明言できなくなる。この恒星はこんな意味です、とは一言も言えない。

なり切った段階では、恒星の創造性、能動性が発揮される。

発見する、包まれる、なりきるというのは、十牛図の第七図が発見するで、牧童は、遠い須弥山の上の月を見ている。はっきり認識し、それを夢見ている。第八図では、主体と客体の混じり合いがあり、これが包まれる段階。主体は手も足も出ないし、もう大地に触れることは不可能。そして第九図で、なりきっていると考えるといい。

ただアルファードは、簡単に言うと明確な主体の位置を壊して、複数の主体になり、そのどれもが確定的でなくなることを意味するので、「わたしはアルファードにはっきり接触しました」ということそのものが、理屈的に断定できない状態になる。それがアルファードの面白さかも。アルファードに浸りすぎると、確実に破壊者になる。

次のメール

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今「サビアンの1度ですら大雑把なのでは⁉️」と何故か思いました。

夢で全く別の事がズラズラっと並んで「どれだ?」と迷う時があり、もしやそれはどれも間違いではなく、1度の中にあるもっと詳細な情報なのではないかと思ったのです。

ただブレているだけかもしれないのですが。。。

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サビアンというより、アカシックレコードといえば、アカーシャで、

これは具体的な事物性に落とした時には、かなりの数の表現に変わる。逆に言えば、特定の表現形態は、アカシックレコードそのものを表現しきれない。断片のみ。

サビアンシンボルは、それをふわっとあらわしているので、言葉の分析をすると、ここから多数の意味が出てくるというか、翻訳者により、抽出することが可能。どれだ?じゃなく、全部内包した文章に書きなおすべき。





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