アマゾンのライブラリを見たら、2019年六月にダウンロード購入した、ホームページビルダー21の記録が残っていて、登録番号などはそのまま保管していたので、あらためて購入することなくDLできました。なぜ2019年という新しい時期、去年に買ったのか、理由は思い出せない。それまで2016年とかのものを使っていて、新しく買ったけど、結局新機能は使いこなすことなく、というか必要性を感じることなく旧スタイルで表示していたということなのではないか、と。
というわけで、これから自分のサイトのデザインなどを書き換えることにします。いますぐというよりも、少し使い方を勉強してから。今年の終わりまでに、らくらくダウンロードのページを閉鎖しなくてはならないし。
ホロスコープの深読みは、
●恒星人間としての図式を見る。これはヘリオセントリックと恒星パラン。
●地上においての「個体」の生き方の方向性。ジオセントリック、太陽回帰、ハーモニック。三重円。
この二種類をスムーズにつなぐと言っても、前から言うように、地上グリッドと、インドラネットにはずれ成分があります。なので、ダイレクトにつなぐというのは理論的に無理です。これはアカシックレコードにも、個体が関与したアカシックレコードと宇宙的アカシックには乖離があるという意味でもあります。
これまでの2200年しか通用しなかった閉鎖的なトロピカルのサインは、一度中空に浮かせて、あらためて春分点を、どこかの星座、恒星に結び付けるといいのですが、春分点ということそのものが、地球に落とし込むというか、太陽との「細いへその緒」をあらわしており、サイドリアルのように、その先を宇宙の特定の箇所に結び付けるのもおおいに矛盾があり、しかも星座位置に対する誤りの考え方が流通しています。インドの占星術、ジョーデッシュも、どうしてこんないいかげんなことをしているわけ?しかもそれで結婚相手とか仕事決めたりするのは、インド世界が世界から孤立する理由にもなります。実際にそれに従った人たちは、自由を奪われています。
なので、それだったらまだ閉鎖的な、宇宙は関係ないよというトロピカルのほうが精密です。
そんな前提的なことを考えることなく、「井の中の蛙」としての普通のホロスコープを見ていくというのは、なんだかんだと言っても井の中の蛙だ。といま書いている最中に、今日見た夢を思い出しました。
恵比寿の占い学校の主催者が、近所の家の庭に置かれた神社に入り、そこにカエルの像が置かれていて、拝みながら、ウゲッ、ウゲッと声を発していました。カエルの鳴き声のゲコ、ゲコみたいなものと少し違うウゲッです。
いま、この文章を書いていて、井の中の蛙と書いてから、あ、この夢のカエルはそういう意味なわけ?と思いました。で、恵比寿の占い学校には、校舎の中に入ると、わたしが前に教えていた人たちが先生をしていたけど、わたしはできるかぎり知られないように、干渉しないように校舎を出ていたのです。近所の家の庭というのは、老いた婦人の家の庭です。なので井の中の蛙というより、年寄り主婦の手元の庭にいるカエルです。年寄り主婦ってわりに占いのひとつくらいやったりしていますよね。
「彼らにできるかぎり接近しないように」という姿勢は、夢の中で数回繰り返されていた記憶があります。今日だけでなく。どうして接近しないようにしたいのか、それは井の中の蛙システムを使っているからに他なりません。関わるとわたしも巻き込まれ、インドラネットと地球システムの混同が生じます。
占星術は矮小化され、本来の姿を失ったという時、ギリシャ以後占星術が、地球的なサイズに閉鎖したということが大きな要因ですが、じゃあ、それ以前の古代文明の占星術に戻せばいいのかというと、これもかなり違うな。古代文明の頭ごしに考えたほうがいい。すると、ギリシャ以後の視野狭窄症の占星術は、ロングカウントができるようになり、宇宙につながります。すると長い梯子になりうる。
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