申し込みは、
にて。
タイトル:金星の扉
フラワー・オブ・ライフの中にある生命の樹で、金星は左の柱にありますが、左隣の生命の樹からすると、これは中央の柱にあり、また金星の円には、6つのコスモスが重なっています。これらは占星術では知られることも、また推理することもできない金星の秘密を開示するものではないでしょうか。金星の円にあるマカバについて説明し、金星から宇宙に飛び出すとは、どういうことか考えてみましょう。3次元のレベルでは、見えてこない第四の次元の通路です。
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タイトル:金星の扉
フラワー・オブ・ライフの中にある生命の樹で、金星は左の柱にありますが、左隣の生命の樹からすると、これは中央の柱にあり、また金星の円には、6つのコスモスが重なっています。これらは占星術では知られることも、また推理することもできない金星の秘密を開示するものではないでしょうか。金星の円にあるマカバについて説明し、金星から宇宙に飛び出すとは、どういうことか考えてみましょう。3次元のレベルでは、見えてこない第四の次元の通路です。
冥想と夢見(23)を掲載した。
https://note.com/lockwood/n/n300ac7eae24d
フラワー・オブ・ライフの生命の樹の三つあるいは四つの円は、そもそも直接つながらない。というのも、各々円には、特有の特性もあれば、自我もあり、隣の円とは、考え方も見方もまったく違うのだ。それらをつなぐヴェシカパイシスは、異なる世界をつなぐための翻訳でもあり、「似たものは同じ」という考え方でつないでいる。たとえば月の円で、すなわち人格のある個人の見る世界で、ある体験をした時、これはどこかで体験したことがあるし、見たことがあると感じる場合、これと似ているが、実は違う領域にあるものと、型共鳴していることも多い。それは太陽の円の記憶かもしれない。太陽の円と、月の円は違うものだ。占星術でいえば、これはヘリオセントリックと、ジオセントリックの違いのようなもので、まったく相容れないが、似ているものがあると、そこを頼りに、太陽の円と月の円は接続される。
太陽の円の円周にある水星と金星は、月の円の円周での水星と金星に共有されているが、実は太陽の円に属する水星と金星と、月の円に属する水星と金星は違うものだ。これはヘリオセントリックでの水星、金星と、ジオセントリックでの水星、金星と考えるといい。ジオセントリックとヘリオセントリックでは、このふたつの惑星は、たいていの場合、まったく違う場所にある。なので繋がらないはずだが、どこかで共通点を探すといい。この共通点が見つからないと、月の円と太陽の円は繋がらない。ずっと前に、惑星グリッドと、太陽グリッド(インドラネット)は相容れないと書いたが、これと似ている。似ているところが見つかっても、総体としては、繋がっていないというところに、遊び成分があり、これを1/f揺らぎというのかもしれないが、これが月の円の自由と、太陽の円の自由を確保する。直接繋がってしまうと、これは月の円か太陽の円が壊されることを示す。たとえば、中国が日本に攻めてきて、これからは日本は中国である、iPhoneは使ってはならない、国民全員ファーウエイにするべしと言う時、日本の自由性は失われるが、このように、ふたつの円が直接つながると、どちらかの円、あるいは両方が破損する。「繋がっているが、それは一部であり、各々の円は自由に機能する」というのが、生命の樹の三つの円、あるいは四つの円の関係だ。ここでわたしは、1/f揺らぎの話を持ち出したが、もしかしたら、間違っているかもしれないが、いまのところ、適当な言葉が見つからないので、1/f揺らぎにしておく。
冥想と夢見(22)を掲載した
https://note.com/lockwood/n/n3d7a09c01710
フラワー・オブ・ライフにおいて、生命の樹の上限と下限の壁を取り払うと、上の無と下の無はつながるが、これはフラワー・オブ・ライフになることであり、この中で、動き回る動物体としての生命であることの枠をはずれる。上の無に対して、恒星はプロテクタになっているが、下の無に対しては、物質の結晶がプロテクタになっている。下の円は、マルクトの円があり、さらにその下に暗黒物質の円があるが、この両股にかかわるヴェシカパイシスの横ラインに、非晶質の金属と鉱物がある。下の無に向かうには、結晶を非晶質にする必要があり、この一例として、黒曜石、アモルファス金属があるが、もちろん、物理学的に、実際の黒曜石、アモルファス金属を調べて参照することに、さほど大きな意味がない。というのも、結晶というのは、ロゴスが物質に反映されたものであり、なので、鉱物結晶にしても、形而上学的、哲学的に考えなくてはならないのだ。物理学的に検証するというのは、「上のコスモスを研究すると同時に下のコスモスを研究して、照合する」という姿勢からはずれて、下だけを見ているということなのだ。プラトンは、地上において、イデアの穢れを嫌ったが、それは、恒星意識が地上に降りてくることを阻む姿勢だ。もっともっと深く入り込むと、イデアのゆがみというものはなくなるのではないか。でも、イデアの穢れは、逆に、人を守っているとも言える。上から下まで、まっすぐの道ができてしまうと、人は暗闇に吸い込まれるのではないか。目詰まりは安全装置、クンダリニの眠りは存在の守りという考え方もできる。
冥想と夢見(21)を掲載した。
https://note.com/lockwood/n/nbc93d0fd4b9e
ヴェシカパイシスは、死と再生の働きであり、それまでの自我を死なせて、新しい自我に移動させるが、同じ人物であるということを維持するために、記憶がある。しかしこの記憶は、かなり変形しており、前の自分と今の自分をつなぐ記憶には、刃こぼれが多いのではないか。生命の樹の中にあるいくつかの円は、円周に6つの点があるが、これはマカバの構造でもある。マカバを頂点から見ると、平面六角形に見える。こちら側の中心点と、あちらにあるはずの中心点を結ぶ線ができると、人はそこに吸い込まれる。この時、それ以外の点(6つ)は、犠牲になる。周辺の6つが"死に"になることで、真ん中の点がイキになるのだ。生命の樹の中の三つのマカバは、思考のマカバ、感情のマカバ、身体のマカバと言い換える時、身体性のマカバは、クンダリニが起きることで、エンジンがかかる。
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異次元に飛ぶ。
フラワー・オブ・ライフの中の生命の樹には、ヴェシカパイシスが散りばめられ、これは「死と再生」の図でもある。ある自我が死んで、新しい自我に再生する。
生命の樹の4つの円のうち、ひとつの円を見ると、ここには、6つのヴェシカパイシスが絡んでおり、これは六角形と考えてもいい。そして、円の中心点は、外の6つの円の円周でもあり、これは6つの円によって、中心が死に、そこに穴が開くことを意味する。この穴は異次元に通じている。
三角形に、4番目の未知の点を作り、正四面体を作ることを書いたが、ふたつの三角形の4番目の未知の点をつなぐと、そこに異次元の一次元世界線ができる。マカバは、この未知の場所に飛ぶ。というか、そこに吸い込まれる。
冥想と夢見(20)を掲載した。
https://note.com/lockwood/n/n6abdff9d588f
フラワー・オブ・ライフの中の5つの生命の樹は、7つと考えたほうが合理的。慣れてくると、この7人あるいは5人が、夢とか、ミディアムランドで、交流しているとか、干渉しているとか、ウォークインしてくるとかが見えてくる。よその樹の持ち込みが頻繁になってくるのは、ヴェシカパイシスが、上下、斜め上、斜め下などに、6角形の配置で、自我を移す作用があるからだ。このヴェシカパイシスの性質からすると、恒星とグレートセントラルサンの関係についても、いろいろ考えることができるのではないかと思う。地球に関係するグレートセントラルサンは、オリオン、シリウス、アルシオンの三つと考えると、なかなかに素朴で、わたしが夢で見た「地球の人は、牛のイニシエーションが、無難」という内容は、プレアデスか、あるいはアルデバランかになるのではないか。アルデバランの180度側には、アンタレスがあり、これぞ、グレートセントラルサンの代表中の代表だ。でも、地球にダイレクトに関係していない?
冥想と夢見(19)を掲載した。
https://note.com/lockwood/n/n77d7cd092456
フラワー・オブ・ライフの中の生命の樹について、もう少し詳しく書いた。ここには、4つの円があり、各々をヴェシカパイシスが繋いでおり、このヴェシカパイシス(魚の袋、種)が、互いにかかわるふたつの円の比率を調整している。たとえば、太陽の円と、月の円は、ヴェシカパイシスの短い寸のほうに、太陽と月があり、左右の長い寸のほうには、水星と金星がある。水星と金星が、降りること、上がることに関係するとしたら、金星よりも水星を強めることで、月の円の比率が高まり、自然的に、太陽の円の比率が減る。水星は、常により具体的に、より地上的になる傾向があるということだ。
この水星と金星の対比を、シュタイナー式に、アーリマンとルシファーと言ってもいいかもしれない。この4つの円の上にさらに、もうひとつ円が存在するが、それはグレートセントラルサンを軸にして、円周に5つの恒星と、冥王星が配置されており、この冥王星は、この太陽系のことを示している。つまりグレートセントラルサンは、基本的に、6つの太陽系がその周囲を回っているということになるのだ。この円に自我を持つと、強制的に、一番下の月の円から退去しなくてはならない。というのも、存在はこの4つの円でできているからだ。ただ、冥王星の円には、円周の上のほうに、三つの恒星がかかわっており、この接点を維持したまま、月の円が持つマルクト、すなわち地球の地上と関わることはできる。恒星を夢見ることや、恒星から何か指示されることと、グレートセントラルサンの円に、恒星とはわたしであるというふうに自我を移動させることはまったく違う。ヴェシカパイシスは、いろんな角度に自我を移動させる。なので、サマタ瞑想やサマディとは、このヴェシカパイシスのことなのだと考えてもいい。右や左の生命の樹に、自我移動させるのは、フラワー・オブ・ライフの練習としては、卑近なものであると思う。
1は、わりに、テーマを決めないもの 2は、はっきりと目的特化型です。 しかしわたしからすると、1のふわっとしたものでも、結果的に、はっきりした方向に誘導するものになるのではないか。単なる雑談というのができないからです。このふたつは、ひとつにまとめられないし、まとめないほうがいい...