2018年5月17日木曜日

20180517 昨日のインタビュー

昨日、青山でのライムさんとの会話は、対談ではなく、インタヴューでした。出版社の社長と、広報室の担当者と、神保町に会社を持っている企画担当の人と、ライムさんで、四人とわたし。企画の人がわたしのサイトを見ていて、で、現代音楽はなんとなく気分が不安な感じになる、それどうなんですか?と聞かれて、わたしは「現代音楽に安らぎを感じて、リラックスできる」と答えたところは、正直な気持ちなんだけど、ひねくれていますね。古いクラシック音楽は、七音で作られていて、これはべたな感情を表現する。それ以外の表現をすることは、七音という制約があるので、無理。わたしは「またこれ?」というふうに感じながら聞きます。
たぶん現代音楽は、七音クラシック音楽に比較すると、着地してない感があり、これがわたしにリラックスをもたらすのではないかと思う。どこかに長く住むとか、どこかに定着するとかについては、わたしはなんとなくそれを避けたいと思うことが多いです。七音クラシック、ほか七音ポピュラー、ジャズ、これらは「地面に縛る」という性質を持っていると感じます。
7戦車のカードは車輪がはずしてあり、馬車は大地に接着されている。この戦車のカードの7の数字は、わたしが七音音楽に感じる着地感と似ている。
20代半ばに、数年間、人と接触しない時期があり、この時、いつも空気と接触しているという感じだった。空気の中に、宇宙的な知性が存在していて、それは空気の中のかすかな気配、物質的ではないが匂い、こういうところに大きな違い、バラエティを感じていて、それとずっとかかわってきたという感じです。いまわたしが展開しているタロット道にしても、空気の中に地盤があるという、この若い時期からの姿勢がそのまま継続しているということだ。
地面に立つ人からすると、空気の領域は途中の場所だが、空気に地盤を持とうという人は、ギルガメッシュ叙事詩の中に書いてあるように、樹の中程に住み、鳥の足を持つ夜の女王、リリスみたいなものである。実際に、わたしは「トゥルパ」の本でも、月の軌道のステーションが足場だと書いている。
12吊られた男で、地面に接触しなくなった人は、次に13死神で、大地に立つように見えて、実際には人の頭の上に立っており、そこには五つの突起を持つ足つぼマッサージ器みたいなものが挟まれている。それに17星のカードでも、女性は大地には決して立たず、川の上に置かれたスノコに座っている。

宇宙人は、ボルトとワッシャがある宇宙船には乗っていない。精神と物質が分断されているのは地球人の思想のオリジナルで、こういうおかしな発想をするのは地球以外のどこにもいない。で、月の軌道のステーションに住む知性は、空気以下の、水、木、鉱物、金属にあたるものを持っておらず、なので、宇宙船も、もしボルトとワッシャがあれば、それは空気素材でできているものだということになる。そこには精密な物質科学があるが、しかし地球人のような重たい素材では作られていないので、宇宙人が地球人に先進的な科学を伝えようにも、それは精妙すぎて、地球人にはあまり役に立たない。宇宙船は基本的には知性体で、そこに知性体としての宇宙人が乗っていて、宇宙船と宇宙人の境界があまりはっきりしない。わたしがよく会っていた七色金星人、エビ星人も、夕方を連れてきていて、本体と夕方が分離できていなかった。(七赤金星のこと?そうです。)

QHHTで、マグマの上にいた時、ひどく気持ちがよかった。なので、いまはそれに似たコウケントーを毎日のように使っているのだが、小学生の時に、学校の帰りに、鍛冶屋さんがあった。そこで、鉄を灼熱の中で加工している光景を見て、いつもこの赤い炎の塊に、何かしら居心地の良さを感じていた。火は空気の中にあり、空気よりもひとつ上の次元にあるものなので、空気を大地とみなす人々からすると、火は下から二番目の中枢にあてはめられる。つまり情感などは、この火の性質と結びついている。
空気中に浮く宇宙船buddは空気の中の火のようなものだ。
で、QHHTの中で見たマグマは上から見て、反時計回りだったような気がする。自分が入ったピラミッドは、それと反対の回転をしていたようだ。なんにしても、マグマとピラミッドは反対に回っていた。この反対回りは、上昇する方向と、下にねじ込む方向という反対の関係にある。
火というのは動物磁気、光、熱、エーテル成分などといろんな本に書いたが、火は空気の中の一部にあり、空気全体には広がらない。で、エーテル成分は植物性で、それはすべてに繋がってネットワークの網目を、まるで血管とか植物の枝、根のように広げていくので、実はここに熱源などはない。熱というのは、特定の場に集まり、それは拡散しないのだ。拡散すると熱はたいてい失われる。つまり周囲との温度差がなくなる。熱とは、常に周囲との温度差があり、浮いたものだ。なので空気の中にある火は、エーテル成分に乗ったアストラル成分であると考えてもいい。

生まれる前に、山の上にいて、高倉健みたいな軍服を着た男性にベビーカーを押され、崖にきて、「この後はわたしは一緒にいられません」といわれ、ベビーカーを崖から落とされた時に、下には茶色の水たまりがあった。で、この水溜りの中に落ちるのかと思うと、その時にはけっこうの恐怖感がありました。水溜りの中に落ちて、そしてこの世に生まれた。
火、空気、水、土という順列からすると、マグマの上空に浮いているのが気持ちいいと感じた時には、この場所が自分の故郷だなと思った。空気の中に遍在する生存状態に関しては、それは当たり前の感じ。空気の中に遍在して、そしてマグマの上にいくと、そこは、猫が箱に入ったみたいな気分の場所になる。ピラミッドは宇宙知性が地球に降りてくるための空港みたいな感じもある。そもそもこの図形の床部は、大地に接触した正方形だ。だが、マグマはまるっきり着地方向には行かないだろう。
で、ここに生まれるために、どうして自分は茶色の水、すなわち土の混じった水に入らなくてはならなかったのか。肉体を持つというのは、このじめじめした土の元素に同一化して、その成分が感情と精神の中に干渉してくるということだ。
すると、思想は、この鈍重な物質のすみずみまでは浸透しない。
そこで地上に生まれると、思考と思想とロゴスは、このじめじめした肉体の一部にのみ反映されていくと結果になるので、自分を思い出すのにきれぎれの記憶しかなく、なかなか再生に時間がかかるということになる。
追放された水や土が、もともとは宇宙的な根源から来ているということを、この元素に思い出させなくてはならない。思い出させると、この水と土も、分断されない、ルーツと連続したものになるだろう。

ところで、わたしは大腿骨損傷して、なおかつ前からずっと貧血で、という時、骨盤と大腿骨をつなぐ股関節に東洋医学で言う脾経があり、これは消化機能全般と血液の流れを接続する場所であるということで、そもそもここが弱い体質なのでは?という話になってくる。血がさらさらなのはいいんだけど、血が薄い。つまり、高倉健がベビーカーを崖から落とした時、それはわたしが大腿骨に落ちていったことに関係して、そこにある水溜りには、どうにも馴染めないということに関係する。だいたいそれ茶色だろ。マグマの上なら気楽だが、えっ?水の中に?ということだ。わたしにとって土の元素とは空気であり、この中に火の情感が、あたかも水の元素のように存在しており、四元素を地球的な多くの人の基準にあわせてくれと言われても、わたしはそれがずれているという話だ。木の中腹に住んでいるんだから。でも、この地球世界には、こういう種族が実はたくさんいるんだよ。で、そういう人たちは比較的適応に困っている場合がある。ここを故郷と感じないのだし。13死神は人の頭の上に足場を置き、17星は、川の上にあるスノコに膝を降ろしている。






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