2020年4月24日金曜日

20200424 いま流行の

パルスオキシメーターで、毎日血中酸素飽和度を調べています。
いまのところ、98くらいか。

毎日、朝サークルのyoutube動画を作るのが習慣になってしまい、そういえば、以前DMMオンラインラウンジをしていた時も、毎日、どこかに出張している時でさえ、ホテルで、動画を作っていましたね。
で、DMMの場合には、サビアンを説明していたので、一年間。
あと、もう記憶が定かでないが、毎日、誰かの個人チャートを読んでいたかな、これも動画記録。
FACEBOOKベースなので、ページが新しいものが上に上がってきて、だんだん混乱していく状態で、コメントを検索できないことが多かった。ような(記憶がはっきりしない。)

サークルの構造はできたばかりなので、原始的な仕組みで、繰り上がってこないので、整理しやすいけど、やはり埋もれるコメントは埋もれる。
わたしのほうには、誰かがコメント書いたら、メールで内容が届き、そこからNOTEに飛べるようになっているけど、時々当のコメントがnote内で見つからないことも。

ホロスコープ読みなどで、わたしの講座に参加してから、もう30年弱、続いているような人もいる。で、占星術は、具体的な事情について当てはめることのできるような体系で、それはつまり、占星術は具体的な地上生活に埋もれている人が、逆に星に吸収される梯子にもなっているということで、星に吸収されることを成仏と言いますが、
占星術を長く取り組むと、成仏します。理屈的には。
でも、ずっと30年近く来ている人は、まだ成仏しきれていないわけですね。
その理由はどこにあるのか、考えてみるために、占星術講座を短期間してもいいかなとは思っています。これは最近の話だ。具体的な事物に結び付ける占星術については、したくないと思っていたのだから。

わたしがろくぶんぎ座アルファ星に戻ってから、昔から、山の上にいて、人がふもとから上がってくるとか、ビルの上にいるとか、QHHTで、ビルの最上階にいて、そこに人がスティックの食物(後でわかったけど、お線香)を数本持ってくるというイメージを見ていたのは、みな、これがヘリコン山のてっぺんにわたしがいたことの記憶であると思い出しましたが、ここに至ると、占星術の根底にある法則などは扱うが、具体的な事象(山のふもと)にはあまりタッチしないというのが正しい姿勢であると確認しました。

実は30年近く参加している人は、成仏していないのでなく、雲の絨毯に乗っていて、時々雲の絨毯から落ちそうになった時、占星術を確認して補強しています。占星術で、何かの事象、体験などを説明できれば、逆に、その事象、体験は無化されるというわけです。食べてお腹の中でかたまりになっていたものが、すっきり消化されるという。

たとえば占星術の惑星、サイン、ハウスなどを、地上の具体的な事象に結び付けるというのは難しく、タロットカードでさえ、何かの具体的な事例にカードを落とすというのが困難で、ひとつの惑星にしても、ひとつの象徴であり、具体的な事象にあてはめると、それは1000も対応物を持つかもしれません。地上の人間は、この1000のうちのひとつをつかみ、これこそがその惑星の意味なのだと考えます。
なぜなら、地上の人間は限られた時間、限られた空間にいる存在なので、情報処理能力に限界があり、象徴を丸ごと理解することは不可能になっているからです。そして、この1000のうちひとつから、もとの象意に上がろうとしても、途中でつっかえて身動きとれなくなります。ひとつの枝が幹になろうとしても、すんなりといきません。

占星術を長く学ぶと、この1000分の一の存在から、もとのひとつの象意に、心身を吸収させ、それを食べ、新陳代謝して生きることができるのです。反対に、このひとつの象意は、ひとつしかないのに、地上から見ると、1000種類のバラエティがあると受け取られます。一筋縄ではいかない。キャラクタにつかみどころがない。
動物系知覚の存在は、ここからあそこに、あるいは過去から未来へ動く存在なので、ひとつをつかむとひとつを忘れる。常に断片しかつかまないという性質を与えられていますが、これが寿命が短くなる原因です。でも、もとの自分を思い出すならば、そもそも寿命などなかったということに気がつきます。







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