2019年8月15日木曜日

20190815 無の扱い方

そもそも科学の出発点が意識と物質あるいは対象との二極化ということが前提なので、この姿勢の中では、物質の究極の最小単位とは何かを追及することは不可能です。無を先送りして、どんどん小さいものに入っても、結局「対象化された」重さとして、無には行きつきません。で、紐とかでなく、点につきつめていくと、そこに無がありますが、その時、原初の意識と物質あるいは対象との二極化が解消され、果てしない無に飲み込まれていくし、いままでの科学の理論はすべて崩壊しますが、この無に飲み込まると、その上に、次の宇宙があることに気がつく。あれ?無の果てには、有があるのか、と。でも科学では、今の世界の平面からは決して移動しないので、この無の先にあるものを想像はできないし、11次元とか言っても、それはこの平面の世界なんですよ。で、対象がある間は、二極化は超えられない。見ているものがあれば見ているものに捕まり、それ以外の場所には行かない。見たり、考えたり、思ったりすることで、わたしたちはこの宇宙に閉じ込められているが、あっちに行ったりこっちに来たりするには、この無の点を使います。意識は投射されないことには働かないという点で、この無で暗転の場が出てきますが、タロットカードはこういうテクニックについては、確かに説明しています。精神世界でいうワンネスとか、ノンデュアリティは、精神的なものか心理的なものに終始するものであり、この話題よりもずっと手前にあるものです。20190815

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