2020年9月15日火曜日

20200915 トロピカルの枠をはずすと

 占星術の12サインは、地球と太陽の関係でのみ作られており、これもギリシャ時代以後に始まった地球閉鎖という山羊座の箱づくりに関係するということをyoutubeで説明しましたが、このトロピカルサインをやめてしまうと、じゃあ、サイドリアルにするのかというと、ここにも30度ずつで12にまとめるという、トロピカルと似たような箱があり、トロピカルと違うのは、一か所どこかの恒星位置を基準にするという意味で、偏りがあります。

星座は30度ずつおさまっているわけではない。で、サインとか12区画という箱を取っ払って占星術をするには、コンステレーションとか恒星の影響を、太陽系の中にある惑星が受け止めるポイントを考えるとか、惑星どうしのアスペクトについて考えるとかを重視して、サインの意味については考えず、サインはたんに位置座標を示す目安でしかないと考えることですかね。

例を挙げてみると、わたしが大腿骨の置換手術を受けたのは、8月19日です。このころ、火星はうお座の16.19度。海王星はうお座の18.77度で、だいたいコンジャンクションです。わたしはこの手術は治療と考えておらず、むしろ歩く道具とか補強具を装着したとみなしています。長靴を手に入れた。前に書いたように、本体としての足は別個に存在しています。で、火星と海王星の合なら、夢の中を歩き回る道具かもしれない。惑星ではほかに、冥王星、木星、土星の合がありますが、とりあえず、それは脇に置いといて。

シュタイナー式には、火星はマクロコスモスへの誘い。海王星は、木星のよりサイズの大きなものとみなして、これはマクロコスモスの夢見ですね。あるいはわたしが前から言っているように、太陽系内アカシック空間の散策です。

これが横方向での一致とみなし、次に黄緯においては、火星はマイナス1.66度、海王星はマイナス1.06度で、ややパラレル。ややではないかもしれない。黄緯はかなり幅が狭いので、球体位置を走り回るような範囲になく、惑星の心の狭さみたいなものを感じます。ヴュッフェの中で、いつものものしか食べてないみたいな。わたしが海外のホテルで見た、日本人ビジネスマンが、結局毎日、パンと卵しか食べてないという光景。

で、この黄緯位置に近いものとして、さそり座のデルタ星、Dschubbaはどうでしょうかね。だいたいマイナス1度59分です。火星にちょっと近い。どう発音するのかわからないけど、さそりの頭、あるいは目です。もう少しさそりの頭に近いとベータ星のAcrabになります。地球から見たところでのみ成立する星座。という偏りがありますから、それを忘れてはなりません。死んだら、つまり地球の肉体を捨てると、この星座などというものはいっさい成立しません。

で、Dschubbaは、さそり座が生と死の間を行き来する、いろんな世界との交差点、スイッチを切り替えていくという意味にすれば、その行き先について考える、探求する、入り込んでいくという作用になります。さそりの心臓アンタレスは、交差点機能として、全体のバランスを取ること。そもそも大腿骨は、足がどこかに踏み込んで行く時に、その方向を選択している働きですから、Dschubbaは踏み出す前に、まず考えているとも言えます。

トロピカルやサイドリアルの星座の意味をすっとばして、実星座の意味について考えていくというのも、暫定的には興味深いかもしれないです。あくまで暫定的です。ある段階で、それはまったく無意味になるからです。

アキュレスやアキュメンは、尻尾のほうになりますが、これは去るとき、足を引っ張るものに対する姿勢と考えてもいいです。さそりが死と生の切り替えならば、去るというのは死をもたらすということにもなります。これは何か意味がありそうと思ったものを、意味のないものにしていくということも。死とはそんなことでしょう。これがアキュレスやアキュメンの強烈な批判力、攻撃性などに関係します。何かあいまいにしていたものに対して粛清します。さそりの頭にあるDschubbaやAcrabは反対ですね。

とはいえこれは黄緯の一致で見ていたわけで、横位置としては、この火星や海王星から少し離れた位置には、うお座15度18分にエリダヌス座のアケルナルがある。15度29分には、鳳凰座のアンカーがある。いや、それよりも16度08分のペガスス座のHomamですかね。これらのセットはだいたい意味の再生ということに関係する。壊れたものを治すのでなく、そのどさくさに、新しい意味を発見する。

このように横位置とか縦位置とか、空間位置で重なりを見るという手段は、実はけっこう馬鹿らしいけど、これ以外の方法が見つからないのです。それが貧しさを感じさせますね。型共鳴で考えるべきですが、地球上において型共鳴という方法論はあまり発達していません。それはまだ幼児段階です。

今日の夢は、冥王星に紐づいた部屋を、契約期間をこえて占拠していた人に出て行ってもらって、本来の冥王星部屋を取り戻すというものでした。まあ不当占拠はサインかもしれないし、ここでは冥王星とは外との扉という意味です。外との扉を専門にした部屋というのがあるんですね。なかなか妙です。12サインは12感覚と結びついていると、わたしは説明しましたが、このリンクを切り離してもいいのでは。

というのも、12サインの縛りというのを考える時、まず同心円が何個も重なっているタマネギを想像してください。このうちどこかの範囲の円(山羊座の箱)で、12感覚が連動するように想定されています。ひとつの円としてまるくまとまっています。しかし異なる円から記憶が持ち込まれることはよくある。これは、ひとつの円に対して、他のサイズの円が干渉しており、不規則なコンペイトウみたいな形になるのが自然なのでは。これがアンドロメダ、スピカのマトリクスです。激しい山や谷があって、異なる次元が「聖なる侵入」をしています。今何か聞こえました?いや、聞こえないよ。綺麗なひとつの円の中に住んでいる人には、違う円からのメッセージは聞こえない。しかしでこぼこの山谷がある円に住むほうが、本来だと思う。これを禁止しようとして、山羊座の箱の統一性というものが台頭してきたのです。平地信仰のプレアデスが、なめらかな里を作ろうとしたのです。嵐もなく、台風もなく、ハリケーンも遠い話。







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