2020年7月9日木曜日

20200709 毎日メール来る

わたしがyoutube動画の例になるようなチャートがないと言ったので、毎日、わたしのを使ってくださいというメールが来ます。
全員が、気が向いたら、と前置きしていますが、中には、わたしのチャートはきっと役に立ちますよーと言ってる人もいる。
サークルをしてないし、集まりなどをしていないので、何か言いたいことがある人は、みなメールです。
いままで長い間、集まりとかは、誰かに主催してもらってやっていましたが、これだと、主催者のキャラクタのフィルタが強くかかる傾向はあります。でも、自分で主催すると、加減がうまくいかない。で、このあたりの調整がとても難しいので、集まりという人員の囲いを作らず、公開youtubeみたいなたれ流しで、制限なしというのが一番いいのではないかと思ったのですが、人との間合いが詰められないように、コメントなどはいっさい応答しないと書きました。

つまるところ、この社会での人との距離感が難しいという話です。で、前世イメージでも、わたしは塔の上にいて、下界を望遠鏡で見ていたというのが多いのですが、わたしの地球ポイントに重なっているデネボラは、そもそもアウトサイダーで、人の輪の中に入らないというものです。いままでは、ちょっと引いたところから見ているということだったが、一番まともなスタイルとしては、横のレベルで引いているということより、高所から望遠鏡で見ているというのが自然です。

で、自分の自我を恒星している恒星はいくつかありますが、このうち、もっとも地球に近づけるのは、ろくぶんぎ座のアルファ星です。このウラニアと呼ばれる恒星は、ムーサのひとりなので、ヘリコン山の上にいて、その点では高所にいて、里には降りてきません。ウラニアは占星術に関係が深いので、地球に最も近づけるのは占星術、それでも、地面を歩くことはなく、山の上にいるということです。占星術はそもそも星の話なので、地面を歩くことなどないです。わたしから見ると、占星術は、それでも地上に近づく架け橋ということです。

前に、人を見るより、その人のチャート見るほうがリアルで現実的と言いましたが、チャート見ても、その図の持ち主の人は見ない、というのがちょうどいいバランスではないか、と。チャートと人が乖離した時には、人の生き方のほうが脱線し、間違っているのだと考えるほうがいいでしょう。食べるたびに変形し、何か体験するたびに自閉してしまうからで、極度に短命な蝉のような人生を重視するというのは異常な習慣でもあります。
わたしは恒星探索を薦めていますが、行き着くところまで行くと、自分の故郷あるいはルーツの恒星に自我の拠点を置き、地球上では一瞬体験しているだけという視点になります。これはほぼ全員がそのようになってきます。

このことで、地球上においての異常な思想、異常な習慣は是正されていくと思いますが、たぶん、その前に、地球集合意識のほうが息絶えてしまう可能性はあります。地球は転落することも崩壊することもありません。それは人とは比較にならないほど、安定し、また自分の目的があるからです。地球が危ないというのは、地球に住んでいる人類が危ないという意味です。地球はそれに対して、ちょっと無関心そうに見ています。地球から見て、人類は家ダニなので、時々天日干ししたいんですよ。

で、人類をいくつかのグループにわけて、あちこちに移動してもらうということをわたしは考えたのですが、この場合、わたしが人類とみているのは、人口の3パーセントよりも低いものです。人を見た時、この人は写し絵として実体の存在しない機械的なものなのか、それともちゃんと自分で思い、考え、意志を持とうとしているのかを考えます。
自分で思い、考え、意志を持とうとしている存在は、人口の3パーセントもいません。コリン・ウィルソンは、5パーセントと言いましたが、実際にはもっとぐっと少ないです。
自分の推進力を持った人はエーテル体を発見します。物質界は残像なので、受動的な人は、残像を現実とみなし、それよりも先に進むエーテル体を認識できません。
エーテル体は、どんどん先に進み、残像を振り切らないことには見えてこない。このあたりが、楽しく面白いです。怠けた瞬間、エーテル体は見えなくなります。つまりエーテル体とは、この世に反映されていない、未来ヴィジョンということですね。








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