2020年10月5日月曜日

20201005(2) 自分からは死者に近づかないけど、近づかれることについて

 私の場合、自分から死者には近づきません。たいてい。で、いままで思い出してみると、死者のほうから近づかれます。とはいえ、幽霊に会ったことはないです。幽霊は虚像であり、脱ぎ捨てたパジャマというもので、中身の実体は去っています。本質の入った死者は、時々、わたしに近づいていきます。

ジオセントリックのチャートでは、死者との関係を示す8ハウスに、土星と海王星があり、海王星はてんびん座の24度で、蝶の左側の三番目の羽。蝶の羽はエーテル体のカーテンみたいなもので、左側なので、そこに入り込まれるというものです。そもそもアストラル体との接点を持つ海王星だし。これが勝手に近づかれる特性です。近づいてくるのは、死者だけでなく、宇宙人などです。死者の数は少なめ、宇宙人の数は多めです。

で、すぐ隣にてんびん座の27度の土星がありますが、これは頭上を飛んでいる飛行機というものです。海王星とセットで、つまり、上空にいるか、塔の上あたり、山の上あたりにいると、死者、宇宙人が近づいてくるということです。そもそも土星を物質界の輪郭、箱だとすると、平地では、生きている人しか近づかない。人払いをして、人の少ない山の上、上空、塔の上あたりだと、人が少ないぶん、死者と宇宙人が接近しやすいのです。で、いわゆる前世イメージでは、わたしは頻繁に塔の上に住んでいるというのが多いのですが、これはこの土星の度数のイメージが投影されているのですね。

このふたつの天体は、2ハウスの金星、火星に4つの180度アスペクトで、つながっているので、下界、平地、物質界に、おひつじ座的侵入力、強い自我感覚として、持ち込む性質があります。これは急降下する傾斜角の坂を持っているような感じです。ただし、いまこの火星に対して、トランシットの土星が比較的正確に90度の角度になっているので、しかもトランシットの冥王星がいったりきたりで90度になるので、「封鎖する土星」「穴をあける冥王星」の両方が「試行錯誤」していて、ここに穴あけるか、いや、ここは封じて、違うところに穴を、というようなことがまだ続いています。出生図の8ハウスの土星に対してもスクエアになるということは、山の上から降りる道を封じるか、それとも違う降り口あるか?と探している感じ。

千本ノックも、辞書も気乗りしないのは、そういうことでは?まだ靴がない。古い靴はぼろぼろ。大腿骨を手術した執刀医が、骨はぼろぼろでしたよと言ったように、わたしの靴もぼろぼろで、まだどうするかわからない。でも小型のウーファーとミニスピーカーがけっこういけることがわかったので、スケッチャーズみたいなのもいいのではと思っている。

こういう地上的な風景は、ヘリオセントリックではほとんど表現されない。本質的なのはヘリオセントリックに決まっていますが、地上の肉体を持つ世界では、ジオセントリックのほうが細かいです。そしてしつこいけど、サビアンシンボルは、一度トロピカルサインとの固着を切り離して、あらためて仮接続すると、使いやすいです。トロピカルに普遍性はない。しかしサビアンはそれ以上に普遍的要素がある。

ルトスワフスキーの歌曲は、マーラーの歌曲と似ていることに驚き。結局微細なもの、神秘感みたいなものが好きな人は、マーラーの中に、朝露とか、遠くから聞える響きなどに目を向けると思うのですが、ルトスワフスキーとかバルトークなどにもそれは満載。シュタイナーは芸術の中では音楽がトップにあると言いましたが、確かにこれは言葉で表現するのは難しいかな。神秘主義音楽と言われるものは、むしろこの微細さ、神秘性が欠けているのが面白い。





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