2020年10月6日火曜日

20201006 死者の話題は比較的楽しい

 死者に関して考えたり話したりするのは、比較的楽しいです。それは結局自由性をあらわすからではないか、と。時間と空間の秩序、順番というものが死者にはない。勝手にどこにでも貫入できる。生きている人には、時間の秩序、空間の秩序、そして一点にしか居場所がないという制約があるので、それはやはり鎖をつけられて歩いているようなものですね。

で、自殺したお姉さんに関しての質問があったので、youtubeで回答しました。

https://www.youtube.com/watch?v=DUQQk-Pzdhc

わたしは日本の霊能者に関しては、あまり好ましいと感じていない。理由は暗くて湿っぽいからかな。独特の閉じ込めるような雰囲気があります。これは日本の霊に関しての伝統的な考え方があり、そこに全員を縛り付けようとするからです。同調圧力ですね。

死者と、「まともな宇宙人」の違いは、生命としての結晶、七つの層で、さまざまな振動レベルを床にして生きている宇宙人とか宇宙知性があり、死者などは七つの層ができておらず、肉体を失った時に、七つ足りず、やがて分解していくかという違いです。光の世界に入り、そのままずっと光の中にいる、というのも、七つではないということです。わたしはそれを前から「宇宙を構成する部品」あるいは「精霊」と説明しています。

以下はメーガンの図です。生まれ時間は正確なのか、不明です。


この図だけを見ると、なかなか抑圧されていますね。そもそもイギリスで結婚した時にも、不満をため込んできたのは、すっきりと意志表示できないから。あとで、裏に隠れたような感じで、アメリカに移住してからこそこそと意思表示するのは、抜けない火星が原因では。「禍根を残す」ようなことをしないためには、火星がリアルタイムで燃焼したほうがいい。この図ではそれができにくいかな。

かに座に踏まれたしし座というの「も」、不満がたまる要因のひとつでもある。



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