2018年10月6日土曜日

20181006 布団、白い板

未来に、わたしの思想のレールの上で作り出された世界みたいなものがあるらしく、2300年の段階で、過去にも戻れるようになったらしい。で、その時の人が情報をフィードバックしてくるというか、いわば修正プログラムが加えられていくので、それにあわせて、わたしが思想を少し加筆訂正する。オーディオのアンプでいうところのNFBがかかっているので、わりにひずみ成分が少なくなる傾向になるらしい。これが映像としては、わたしのアストラル体が横に餅のように伸びているというもので、これが前に夢で見た布団になるのでは。三日前くらいに、また夢で、横に伸びた白い板の上にわたしが乗っていて、妙に気分がいいので、この板の上にずっといたいと思った。布団でなく、正確に同じ幅が続いていた。固いようなやわらかいような。これはある程度長期的な時間の中で変形しないスタイル、思想というものがあるという意味だ。流行とか世の中の変化に影響を受けず続くもの。こないだは家で山羊座を示していたが、今回の横の板は家の前の私道みたいなものかな。ダリル・アンカの子孫がバシャールで、子供たちが父ちゃんに会いに来たみたいな図ですが、こういうふうに未来からやってくる人たちがいる。シュタイナーは人類は未来には喉が生殖器になるという。これは高次思考センターがある人はみなそうなります。思想、言葉が、その影響をアストラル界やエーテル界に波及させ、そこに世界が作られていく。何か言うとそれが生命を作り出す。で、アメノトリフネみたいな飛行機は、いろんな場所、時間に行くということだが、これはいろんな場所、時間でも、同じ形が変形しないで維持されるという意味だ。動物体の発想では、ここからあそこに移動するイメージ。しかし植物体では、ここからあそこに同じ型のものが伸びていくということ。なので、布団も、この白い板も、わたしのアストラル体のひとつであるアメノトリフネを表現していることになる。家、山羊座は座標という意味があり、節目として使われていくので、それは常に仮のもので、すぐに撤収しなくてはならない。白い板に、目盛りが打ってあるというようなものか。

尸解仙の場合には、物質の原理を解明する必要はない。でも、羽化するなら、物質をとことん底まで解明しなくてはならない。浸透して無化する必要があるからだ。この尸解仙と羽化の違いはとても大きい。羽化する場合にはミクロコスモスをマクロコスモスと完全に一致させなくてはならないので、道の完成という意味では、尸解仙でなく羽化まで行かなくてはならないということだ。

横に伸びた板というのは時代によって変化しないということで、はやりもの、主観的なものを取り除かなくてはならず、すると、たとえば科学というのはひとつの流行みたいなものだと思うし、実際理論はどんどん変わるのでこれを入れないということにもなるか。グルジエフが元素のことを入れたので、このあたりが後の時代から見ると、ちょっとおかしいというふうになりますからね。物質の原理を、科学用語を使わずに説明しなくてはならないということにもなる。新しくもなく、古くもなく。固いような、柔らかいような。夢の中では、この板の上にいると、安楽があるというような印象だった。そりゃそうでしょう、ずっと続くのだから。

12サインのどこかに惑星があるが、この惑星でなく軌道の輪が実体であると言いましたが、12サインもそのひとつでなく、帯そのものが重要。12個の感覚がころころと変わっても、かわらず帯をつないでいく統一軸があると、それは12サインをひとつ超えたものをあらわしている。ただ問題はこうなると、12個の感覚がくっきりと区画が決まっているのにかかわらず、「すべて交換可」という話を打ち出してくることになり、共感覚だらけになります。粒子は波動に変換可能ということでもあるが。かに座の聴覚は、固まると、山羊座のおうちを作る。



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