2018年10月14日日曜日

20181014 集団探索では個人的体験はできない

大きく見ればQHHTもパスワークもヘミシンクもあまり変わらない。ただこれらはみな身体から離れて、拡大意識に入るので、こうなると個人の枠というものは消えてしまうので、たとえば集団でセッションした時には、それぞれが別個の探索をするというのが難しくなる。なのでパスワークのノーウィッキとかは、霊的に違うタイプの人が混じると、全員のヴィジョン体験をかく乱し、その傷が何年も残るケースがあると言う。いつものようにヨーロッパは神経質で、アメリカはアバウトなので、アメリカ産のヘミシンクはそううるさくはないと思うが、それでも集団で取り組むと、その中で仕切る人がいて、つまり振動密度が高い人がほかの全員を引っ張ることが増えていく。一番影響が強いといえば高次思考センターが覚醒している人がひとりでもいると、全員の恒星探索は確実性が高まるが、この高次思考センターの持ち主の故郷の恒星関連のネットワークに行く以外はできなくなる。理屈としてひとり恒星軸を持ち、ほかの人がそれを持たない場合には、この恒星軸を持つ人に全員が従うほかはない。全員がその腹の中を移動する。個人がそれぞれ自由に探索できるというのは物質肉体の生活でいえる話で、いったん肉体から拡大して、肉体性が除去されると、ここには個人、自由、それぞれの方向などいうものは根底から存在しない。別個の個人存在というのは地球オリジナルであって、宇宙存在はこの珍しい事実を興味津々で観察するが、それは地球人が物質肉体に閉じ込められて、自分から近いところしか見えていないということでもある。肉体から離れると単独で自分だけで何かするということが不可能になるが、高次感情と高次思考は、個人性が完全に除去されているので、知覚が宇宙地図に蜘蛛の巣のように張り巡らされていくと考えると一番実情に近くなるのではあるまいか。高次感情は太陽系にくまなく広がる。高次思考は太陽ネットワークに広がる。まずこういう宇宙地図に自分は全体的に拡大し、これが自分だと考え、この中でピックアップがどこかを示したり、また移動したりするが、このピックアップが自我というか、高次思考から作られた「仮個人」だと考えると良い。高次思考の目から見ると、個人というのはドットのひとつだ。ドットは近いところをぐるぐる回っているように見える。ドットは自身で遠くにいけないので、時々ピンセットで持ち上げて少し遠いところに移動させる。ドットはそこで仮死状態になるが、しばらくすると動きはじめるたぶんドットはその寿命の範囲の中では、自分の身の丈の三倍くらいの範囲しか移動しない。高次思考から見ると、ドットはたくさんあるので、ひとつが消えても気がつかないこともある。ほかにたくさんあるし、同じ色なので見分けがつかないのだ。

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