2018年10月9日火曜日

20181009 音楽鑑賞は修行だったのか

今日は朝からzoom講座でした。で、音楽についてのテーマ。聴覚はかに座で、特定の調に座標を作るのは、これは山羊座と考えてもいい。でないと、音楽の内容が聞き取れなくなり、すべてはノイズに変わります。で、色の話が出てきたけど、色を物質と結び付けてしまうとスペクトルなどに結びつき、この色の本質というのはわからなくなる。オーラを見る時には、エーテル体としての色を見るわけで、物質依存の色になるとみなが見る色はばらばらになって、共通見解などなくなってしまう。ある人が見た赤は、違う人は青と見たりする。音も色も、物質から切り離して、その本質の意味というものを抽出すると、それらはエーテル体としての音とか色になります。宇宙意識落花生akira氏は、音楽を聴くことを修行と考えたようで、わたしから見ると、修行というのは、たとえば音楽を聴いたり、とか、たんに考え事をしたり、というだけでもいいです。世界は思考に過ぎないということからすると、哲学的なことを考える以外は何もしなくてもいいです、それは修行です。考えるだけでやがて仙人になる、そういうのでもいい。サドゥは身体的な修行をする。これはスポおたのことだ。食餌解脱流派は、食べることだけで解脱することを目指している。呼吸流派とかもあるし、わたしはお笑い流派もあると思う。どんなものでも、それを通じて突き抜ければいいだけなのだから。
ブラームスはいいメロディを思いついたのでそれで曲を書くというのがあったけど、ベートーヴェンにはそれはほとんどないというのも説明しました。ブラームスは、感覚的音楽と音楽的音楽、主観的音楽と客観的音楽の間を揺れ動いている比率が高いとも説明したけど、こういうふうに曲とか作曲家を分類するのは時間があればできるよ。エルガーは自分のプライドを高めたいために書いたので、音楽としては二流ね、とか。修行一覧ですかね。


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